新太極拳 ハハハの母
2023-01-27T11:59:45+09:00
wahaha05
2004年5月25日、心臓停止から始まった母の回復日記
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長い時間が経った
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2023-01-27T11:57:00+09:00
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2023-01-27T11:57:42+09:00
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15年もの時間が経ったのだ。
母はどうしているのだろう。
父はどうしているのだろう。。
夜空を見上げてはこんな想いが出てくる。
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2007年8月12日(日)
http://wahaha05.exblog.jp/6707832/
2007-08-13T20:02:00+09:00
2009-01-04T00:48:37+09:00
2007-08-13T20:02:58+09:00
wahaha05
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私がいない時は母が一人で、いる時は二人でしていた。
花の頃の7月がいいのだが、雨が多く乾燥状態が
良くないので、お盆の庭掃除を兼ね盆前にする。
今年は庭木がやたら伸びていたので、前庭と後ろ庭の
アジサイをのこぎりで根元から切った。
玄関先のウツギも切った。
前と後ろの雑草を抜き、南天のカットをしていると
それだけで午後3時もゆうに過ぎた。
羊歯は根っこから取らないと来年もはびこる。(ふ~っ)
紅葉の小さな実生が5,6本生えていた。
他、鳥が運んできたのは、大木になりそうで引っこ抜いた。
椿が1本あり、これは残しておいた。
昨年のドクダミがかなり残っているので、今年は少しの
量にとどめた。
蕗数本とミョウガ3コが今年の収穫だ。
「時行きて 父母なき家に 一人思う
過ぎ去りし あの頃の日々」]]>
2007年7月29日(日)
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2007-08-13T19:57:00+09:00
2009-01-04T00:48:07+09:00
2007-08-13T19:55:36+09:00
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和尚さんの都合がつかず29日の法要になった。
3つの法要を併せて行った。
・父の命日
・母の盆供養
・先祖の盆供養
和尚さん、きく江、叡子、一穂の4人
法要のあと、「父の50周年ももうすぐですね」
「50周年をされるのは珍しいです。早く亡くなったとかですね。」
「母の50周年はできないねえ。私たちはいないもの」
「和尚さんはお幾つですか」
「33歳です」
「ああ、よかった、よろしくお願いします」
「一穂、洪太がいますのでよろしくお願いします」
思わず口に出て、はっとした。母の50周年をするのは
娘達ではなく、孫になるのだ。]]>
母に報告(2007年3月25日)
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2007-03-27T00:51:51+09:00
2007-03-27T00:51:51+09:00
2007-03-27T00:51:51+09:00
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白いきれいな顔をして病院のベッドにいた。
「母ちゃん、帰ってきたの
あ~っ、よかった。これで嬉しいことを報告できる」
あ~っ、よかった。と新しい病室を見回している内に
母がベッドからずり落ちた。骨、折ってない、
大丈夫か。と急いで膝に抱き上げた。
顔はふっくらとしてきれいだったが
体は小さく軽く、「ああ、こんなに小さくなって」
ここで目が覚めた。
本当に、あと数ヶ月生きていてくれたら
嬉しい報告ができたのに・・・・・]]>
一番ほしいもの(2007年3月20日)
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2007-03-27T00:50:32+09:00
2007-03-27T00:50:32+09:00
2007-03-27T00:50:32+09:00
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「一番ほしいものは何?」
「無いなあ。立って半畳、寝て一畳って言うからね。」
友人と分かれて気が付いた。
一番ほしいもの。それは父、母、叔母が一緒だったあの頃だ。
夕食の手伝いをし、皆で一緒に食卓を囲んだ。
母が着物を着て、きれいにして父と出かけて行った。
おみやげが楽しみだった。
庭で虫を捕まえて遊び、2Fで妹や友達と遊んだ。
あの頃だ。ほしいものは。
決して戻ることのない時だ。]]>
2006年12月3日
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2006-12-12T00:25:06+09:00
2006-12-12T00:25:06+09:00
2006-12-12T00:25:06+09:00
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母の姿がある。
母が植えたミカンの木の下で、タロー(猫)の
面倒を見ていた。ふと玄関に目を向けると
母が帰ってきていた。
「あっ、そうや!今日は退院して帰る日や。
(玄関開けておいてよかった。。。)」
ほっと、胸を撫で下ろした。
薄い緑とグレーのブラウスを着て、グレーの
ベストを着ていた。ズボンは少し濃いグレーだった。
「よく、帰ってきたねえ」
母を子供のように膝に抱いた。
夢はここで終わった。退院の迎えを忘れる
いつまでも呑気な娘だ。]]>
一周忌(2006年11月2日)
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2006-11-14T21:44:00+09:00
2006-11-14T21:57:00+09:00
2006-11-14T21:44:23+09:00
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父の時代から懇意にしている滋賀県堅田から
いつもの和尚さんに来ていただいた。
大きな声ではっきりとお経を唱えてくださり
気持ちのいい思いがする。
「妙相院法楽日芳大姉 一周忌 追善菩提」の
卒塔婆も持ってきてくださった。
いつもの花屋さんから一対の花を届けてもらった。
仏壇に父と母の写真が並び、子供時代を一緒に
過ごした母の妹(叔母)も埼玉から来てくださった。
父が亡くなってあと数年で50年になる。
「あんたがはやく亡くなるから」と叔母は父の
写真に言った。
ほんとうにいろいろなことがあった。
父がいたころは6人家族で愉しかったなあ。
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新米
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2006-10-06T21:36:27+09:00
2006-10-06T21:36:27+09:00
2006-10-06T21:36:27+09:00
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行き先はいつもの杭州で、1984年初めて中国に行った
杭州との縁が、今や太極拳だけではなく仕事でも
人のつながりでも思いもしない形で続いている。
今回は珍しく秋の中国行きだったので
新米を持っていった。皆、大喜びだ。
帰ってその同じ新米を食べた。
「美味しい!!!」粘りと甘みがある。
昨年の新米の季節には母に新米を持っていく
ことも思いつかなかった。
きっと喜んで食べただろうに・・・・・・・・・
新米のお粥でもよかったのに・・・・・・・・
間もなく1年になろうとするが、思い出すのは
母にしてもらったことの大きさと重さだ。
時が経つにつれ、何もしてあげられなかったなあ、
という思いが強くなる。]]>
2006年8月14日(初盆)
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2006-08-14T08:39:00+09:00
2009-04-16T08:50:10+09:00
2009-04-16T08:46:10+09:00
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九州中津の叔父(弟)から、くるくる回る灯篭が送られてきた。
父の時も水色の灯篭がくるくる回っていた。
暑さで伸び気味のタロー(玄関、靴箱の上で)]]>
仲良しだった福丸さん(2006年1月31日)
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2006-02-01T20:52:23+09:00
2006-02-01T20:53:35+09:00
2006-02-01T20:52:23+09:00
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福丸さんが亡くなられた。まだ70歳過ぎだった。
「よっちゃんとこに遊びに行く」と日に何日も
遊びにきては、子供をあやすように遊んでくれた。
母は福丸さんには特別な感情が湧くらしく
顔を見ては泣いていた。時にはしきりに話を
していた。分からないままに「うんうん、そんなに
泣いたらあかんで」と頬を撫でてくれていた。
病室は斜め向かいで、お互いに体を乗り出しては
相手を気にしていた。
昨年秋ごろから固形物が喉を通らなくなり、
それでも必死に流動食を呑み込んでいた。
この頃から、あんなに明るかった笑顔が無くなり
暗い顔に変わっていってつらかった。
新鮮で良いお花を届けてくれる松村花店から
母、「宮本ヨシ子」の名前でお花を届けた。
「きれいな花やった」とお通夜に行った妹から聞いた。
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表彰状(2006年1月)
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2006-02-01T20:36:00+09:00
2006-11-07T08:03:33+09:00
2006-02-01T20:36:23+09:00
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表彰状と虎屋の羊羹が送られてきた。
表彰状は母と妹に各々送られたものだった。
母への表彰状は感謝の言葉が、妹へのは
無事移植ができたことへの感謝だった。
アイバンク登録には家族の同意書が要るのだが
移植には急を要するので、いざその場になると
家族の素早い連絡や協力が必要になる。
お通夜には一番にお花が届けられ、その後
「目の見えない人が見えるようになりました」という
感謝状が届いた。
母はいなくなったが、人の役にたったのが
せめてもの慰めだ。
写真は「京都府立医科大学付属病院・
アイバンク」からのお花
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タロー
http://wahaha05.exblog.jp/3442509/
2006-01-18T22:00:00+09:00
2006-01-28T09:00:59+09:00
2006-01-28T09:00:59+09:00
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各々1枚づつ作る。今年も数枚の写真を選んで
2006年版のカレンダーができた。
昨年のカレンダーと取り替えようとして、タローの写真が目に入った。
はっと目が留まった。
寂しそうな顔だ。1枚はしょぼんと目を下に向けている。
2枚は母を捜すような目で遠くを見ている。
2004年5月に母が入院して2ヶ月目の7月26日の
写真だ。
2005年11月に母が亡くなって暫くは府に落ちない
顔をしていたが2ヶ月たって僕がしっかりしなくては、
といった顔に変わってきたので今年の写真は生気がある。
今でもタローが会いたかっただろうに、という思いが
心から離れない。1年半もの間、待っていたのだ。
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母を偲んで(2005年12月31日)
http://wahaha05.exblog.jp/3309254/
2005-12-31T21:17:00+09:00
2006-11-07T08:04:05+09:00
2005-12-31T21:17:59+09:00
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妹と二人になった。
本当だろうか、本当だろうか、そんなことは無い!!
妹はアイバンクに電話をし、3時ごろにアイバンクから
人が来られる、と告げた。そして「お母さん、ちゃんと
したからね」と母に報告した。詰め所に行ったり出たり
入ったりしている。
私は母と二人病室で過ごした。
「母ちゃん、ありがとう。」「母ちゃん、ありがとう。」
の言葉しか出てこなかった。
看護婦さんが浴衣の寝巻きに替えてきれいにしてくれた。
妹と二人で「この化粧品は高級なんやで」と言いながら
化粧をしてあげた。白い顔に口紅をさしたらとても
きれいになった。きれいで、美人やで、何度も
褒めてあげた。
おふざけの時は、こう言われると得意そうな顔を
していたが、静かにきれいな顔のままだった。
「母ちゃん、家に帰ろう!」「母ちゃん、家に帰ろう!」
「タローが待ってるで。帰ろう!」
歩いて一緒に帰りたかった。タローがどんなかに喜んだだろう。
1年半の病院生活の間、一度も家に帰れなかった、
帰らなかったのが唯一つの心残りだ。
子猫だったタローも4歳半になった。
こうして玄関で母を待っていた。
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母を偲んで(2005年12月31日)
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2005-12-31T20:58:00+09:00
2006-11-07T08:04:39+09:00
2005-12-31T20:58:30+09:00
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「血の流れが悪くなって足に血のコブができている。
ここでは手術できないし京都駅の武田病院でしか
できない。成功の可能性は、と聞いてもお医者さんは
黙っている。お母さんに聞いたら、しないと言った。
これでいいよね」と言う。
聞くなり、今の状態で手術なんてとんでもない。
車の危険性の方が高いよ。手術しても本人がしんどい
だけや。と即座に頭を振った。
「9月の時は血圧が低くなったけど今度は高い」
何となく嫌な気がした。
「もしもの時は人工呼吸器を付けますか、と聞かれたけれど、
付けません。と言った。これでいいよね」と妹が聞いた。
いいよ。しんどいだけやから。と答えた。
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母を偲んで(2005年12月31日)
http://wahaha05.exblog.jp/3309077/
2005-12-31T20:49:00+09:00
2006-11-07T08:05:16+09:00
2005-12-31T20:49:47+09:00
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ちょっと気分が良くないみたいだから個室に移るという
病院からの申し出への許可の電話だった。
いつも通り6時ごろに病室に着いた。
母は何やらしゃべりながら「よいしょ!」と起き上がろうと
している。「えらく元気がいいな」と冗談をいいながらも
何を言っているのか聞こうとした。
叔母のご主人が病室に入ってくると手を上げて
「あ~、、」としゃべっている。
「そんなにしゃべって喉が渇いたでしょう」とストローを
出すとストローをえらい勢いで噛んで離さない。
横にして又、暫くすると「よいしょ!」と起き上がろうと
する。「ん?家に帰る!?」「はい!」とはっきりと言う。
妹と顔を見合わせて、もう一度「家に帰るの!?」と聞いた。
「はい!」としっかりした返事だ。
帰ることに決めて、しかしこの日は院長も不在で
夜も7時を回っていた。「今はもう夜だし、歩いては無理だよ」
はっと気がついたように「ああ、そうか」
「明日、車で帰ろう。タクシーを呼ぶから」と言うと
納得したように静かに横になった。
暫くしてまた「よいしょ!」と起き上がろうとする。
また同じことを繰り返して言い、妹が泊まることで
私は帰った。
1時過ぎ、片付けもあらかた済み明日は、と算段している時、
電話が鳴った。2階に駆け上がり電話を取ると妹の
「来て!来て!」と短い言葉が耳に入ってきた。
「うん」とそのままタクシーで病院に駆けつけた。
玄関のドアを開けてもらうのももどかしく2階に駆け上がった。
2階の詰め所の時計は1時25分ごろだった。
病室にはお医者さんが酸素マスクを当てている。
側で看護婦さん心臓マッサージをしている。
妹が「お母さん、起きて!起きて!」と手をマッサージ
していた。私は「お母さん、起きよう!」お母さん、起きよう」と
足をマッサージした。
何の動きもなかった。
暫くしてお医者さんが壁の時計を見たと思ったら
「ご臨終です。1時35分です」と言った。
そんなばかな!!起きよう!!家に帰ろう!
心の中で叫んでいた。
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