2004年5月25日、心臓停止から始まった母の回復日記


by wahaha05

2007年8月12日(日)

恒例のドクダミ採取をした。
私がいない時は母が一人で、いる時は二人でしていた。
花の頃の7月がいいのだが、雨が多く乾燥状態が
良くないので、お盆の庭掃除を兼ね盆前にする。

今年は庭木がやたら伸びていたので、前庭と後ろ庭の
アジサイをのこぎりで根元から切った。
玄関先のウツギも切った。
前と後ろの雑草を抜き、南天のカットをしていると
それだけで午後3時もゆうに過ぎた。
羊歯は根っこから取らないと来年もはびこる。(ふ~っ)

紅葉の小さな実生が5,6本生えていた。
他、鳥が運んできたのは、大木になりそうで引っこ抜いた。
椿が1本あり、これは残しておいた。

昨年のドクダミがかなり残っているので、今年は少しの
量にとどめた。

蕗数本とミョウガ3コが今年の収穫だ。

「時行きて 父母なき家に 一人思う
過ぎ去りし あの頃の日々」
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# by wahaha05 | 2007-08-13 20:02

2007年7月29日(日)

7月27日は父の命日だ。暑い日だった。
和尚さんの都合がつかず29日の法要になった。
3つの法要を併せて行った。

・父の命日
・母の盆供養
・先祖の盆供養

和尚さん、きく江、叡子、一穂の4人

法要のあと、「父の50周年ももうすぐですね」
「50周年をされるのは珍しいです。早く亡くなったとかですね。」
「母の50周年はできないねえ。私たちはいないもの」
「和尚さんはお幾つですか」
「33歳です」
「ああ、よかった、よろしくお願いします」
「一穂、洪太がいますのでよろしくお願いします」

思わず口に出て、はっとした。母の50周年をするのは
娘達ではなく、孫になるのだ。
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# by wahaha05 | 2007-08-13 19:57
数日前、母の夢を見た。

白いきれいな顔をして病院のベッドにいた。
「母ちゃん、帰ってきたの
あ~っ、よかった。これで嬉しいことを報告できる」

あ~っ、よかった。と新しい病室を見回している内に
母がベッドからずり落ちた。骨、折ってない、
大丈夫か。と急いで膝に抱き上げた。

顔はふっくらとしてきれいだったが
体は小さく軽く、「ああ、こんなに小さくなって」

ここで目が覚めた。

本当に、あと数ヶ月生きていてくれたら
嬉しい報告ができたのに・・・・・
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# by wahaha05 | 2007-03-27 00:51
大学時代、母によく叱られていた友人が聞いた。

「一番ほしいものは何?」
「無いなあ。立って半畳、寝て一畳って言うからね。」

友人と分かれて気が付いた。

一番ほしいもの。それは父、母、叔母が一緒だったあの頃だ。
夕食の手伝いをし、皆で一緒に食卓を囲んだ。

母が着物を着て、きれいにして父と出かけて行った。
おみやげが楽しみだった。
庭で虫を捕まえて遊び、2Fで妹や友達と遊んだ。

あの頃だ。ほしいものは。
決して戻ることのない時だ。
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# by wahaha05 | 2007-03-27 00:50

2006年12月3日

1週間経ってもはっきりと思い出す
母の姿がある。

母が植えたミカンの木の下で、タロー(猫)の
面倒を見ていた。ふと玄関に目を向けると
母が帰ってきていた。

「あっ、そうや!今日は退院して帰る日や。
(玄関開けておいてよかった。。。)」
ほっと、胸を撫で下ろした。

薄い緑とグレーのブラウスを着て、グレーの
ベストを着ていた。ズボンは少し濃いグレーだった。

「よく、帰ってきたねえ」
母を子供のように膝に抱いた。

夢はここで終わった。退院の迎えを忘れる
いつまでも呑気な娘だ。
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# by wahaha05 | 2006-12-12 00:25

一周忌(2006年11月2日)

11月2日午後7時から母の一周忌をした。

父の時代から懇意にしている滋賀県堅田から
いつもの和尚さんに来ていただいた。

大きな声ではっきりとお経を唱えてくださり
気持ちのいい思いがする。

「妙相院法楽日芳大姉 一周忌 追善菩提」の
卒塔婆も持ってきてくださった。
いつもの花屋さんから一対の花を届けてもらった。

仏壇に父と母の写真が並び、子供時代を一緒に
過ごした母の妹(叔母)も埼玉から来てくださった。

父が亡くなってあと数年で50年になる。
「あんたがはやく亡くなるから」と叔母は父の
写真に言った。

ほんとうにいろいろなことがあった。
父がいたころは6人家族で愉しかったなあ。


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# by wahaha05 | 2006-11-14 21:44

新米

9月28日から10月3日まで中国だった。
行き先はいつもの杭州で、1984年初めて中国に行った
杭州との縁が、今や太極拳だけではなく仕事でも
人のつながりでも思いもしない形で続いている。

今回は珍しく秋の中国行きだったので
新米を持っていった。皆、大喜びだ。

帰ってその同じ新米を食べた。
「美味しい!!!」粘りと甘みがある。

昨年の新米の季節には母に新米を持っていく
ことも思いつかなかった。
 きっと喜んで食べただろうに・・・・・・・・・
 新米のお粥でもよかったのに・・・・・・・・

間もなく1年になろうとするが、思い出すのは
母にしてもらったことの大きさと重さだ。

時が経つにつれ、何もしてあげられなかったなあ、
という思いが強くなる。
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# by wahaha05 | 2006-10-06 21:36

2006年8月14日(初盆)

初盆

九州中津の叔父(弟)から、くるくる回る灯篭が送られてきた。
父の時も水色の灯篭がくるくる回っていた。
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暑さで伸び気味のタロー(玄関、靴箱の上で)
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# by wahaha05 | 2006-08-14 08:39
1年3ヶ月入院していた病院で一番の仲良しだった
福丸さんが亡くなられた。まだ70歳過ぎだった。

「よっちゃんとこに遊びに行く」と日に何日も
遊びにきては、子供をあやすように遊んでくれた。

母は福丸さんには特別な感情が湧くらしく
顔を見ては泣いていた。時にはしきりに話を
していた。分からないままに「うんうん、そんなに
泣いたらあかんで」と頬を撫でてくれていた。

病室は斜め向かいで、お互いに体を乗り出しては
相手を気にしていた。

昨年秋ごろから固形物が喉を通らなくなり、
それでも必死に流動食を呑み込んでいた。
この頃から、あんなに明るかった笑顔が無くなり
暗い顔に変わっていってつらかった。

新鮮で良いお花を届けてくれる松村花店から
母、「宮本ヨシ子」の名前でお花を届けた。
「きれいな花やった」とお通夜に行った妹から聞いた。
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# by wahaha05 | 2006-02-01 20:52

表彰状(2006年1月)

京都府立医科大学付属病院・アイバンクから
表彰状と虎屋の羊羹が送られてきた。
表彰状は母と妹に各々送られたものだった。

母への表彰状は感謝の言葉が、妹へのは
無事移植ができたことへの感謝だった。

アイバンク登録には家族の同意書が要るのだが
移植には急を要するので、いざその場になると
家族の素早い連絡や協力が必要になる。

お通夜には一番にお花が届けられ、その後
「目の見えない人が見えるようになりました」という
感謝状が届いた。

母はいなくなったが、人の役にたったのが
せめてもの慰めだ。

写真は「京都府立医科大学付属病院・
アイバンク」からのお花

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# by wahaha05 | 2006-02-01 20:36