2004年5月25日、心臓停止から始まった母の回復日記


by wahaha05

タロー

毎年、タローとチュン(スズメ)の写真入カレンダーを
各々1枚づつ作る。今年も数枚の写真を選んで
2006年版のカレンダーができた。 
昨年のカレンダーと取り替えようとして、タローの写真が目に入った。
はっと目が留まった。

寂しそうな顔だ。1枚はしょぼんと目を下に向けている。
2枚は母を捜すような目で遠くを見ている。
2004年5月に母が入院して2ヶ月目の7月26日の
写真だ。

2005年11月に母が亡くなって暫くは府に落ちない
顔をしていたが2ヶ月たって僕がしっかりしなくては、
といった顔に変わってきたので今年の写真は生気がある。

今でもタローが会いたかっただろうに、という思いが
心から離れない。1年半もの間、待っていたのだ。
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# by wahaha05 | 2006-01-18 22:00
お医者さんと看護婦さんが詰め所に戻ったあと、
妹と二人になった。

本当だろうか、本当だろうか、そんなことは無い!!

妹はアイバンクに電話をし、3時ごろにアイバンクから
人が来られる、と告げた。そして「お母さん、ちゃんと
したからね」と母に報告した。詰め所に行ったり出たり
入ったりしている。

私は母と二人病室で過ごした。
「母ちゃん、ありがとう。」「母ちゃん、ありがとう。」
の言葉しか出てこなかった。

看護婦さんが浴衣の寝巻きに替えてきれいにしてくれた。
妹と二人で「この化粧品は高級なんやで」と言いながら
化粧をしてあげた。白い顔に口紅をさしたらとても
きれいになった。きれいで、美人やで、何度も
褒めてあげた。

おふざけの時は、こう言われると得意そうな顔を
していたが、静かにきれいな顔のままだった。

「母ちゃん、家に帰ろう!」「母ちゃん、家に帰ろう!」
「タローが待ってるで。帰ろう!」
歩いて一緒に帰りたかった。タローがどんなかに喜んだだろう。

1年半の病院生活の間、一度も家に帰れなかった、
帰らなかったのが唯一つの心残りだ。

子猫だったタローも4歳半になった。
こうして玄関で母を待っていた。

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# by wahaha05 | 2005-12-31 21:17
11月2日、いつも通り6時ごろに病院に行った。

「血の流れが悪くなって足に血のコブができている。
ここでは手術できないし京都駅の武田病院でしか
できない。成功の可能性は、と聞いてもお医者さんは
黙っている。お母さんに聞いたら、しないと言った。
これでいいよね」と言う。

聞くなり、今の状態で手術なんてとんでもない。
車の危険性の方が高いよ。手術しても本人がしんどい
だけや。と即座に頭を振った。

「9月の時は血圧が低くなったけど今度は高い」

何となく嫌な気がした。

「もしもの時は人工呼吸器を付けますか、と聞かれたけれど、
付けません。と言った。これでいいよね」と妹が聞いた。

いいよ。しんどいだけやから。と答えた。
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# by wahaha05 | 2005-12-31 20:58
11月2日、昼過ぎに病院に来た埼玉の叔母から電話があった。
ちょっと気分が良くないみたいだから個室に移るという
病院からの申し出への許可の電話だった。

いつも通り6時ごろに病室に着いた。
母は何やらしゃべりながら「よいしょ!」と起き上がろうと
している。「えらく元気がいいな」と冗談をいいながらも
何を言っているのか聞こうとした。
叔母のご主人が病室に入ってくると手を上げて
「あ~、、」としゃべっている。

「そんなにしゃべって喉が渇いたでしょう」とストローを
出すとストローをえらい勢いで噛んで離さない。

横にして又、暫くすると「よいしょ!」と起き上がろうと
する。「ん?家に帰る!?」「はい!」とはっきりと言う。

妹と顔を見合わせて、もう一度「家に帰るの!?」と聞いた。
「はい!」としっかりした返事だ。

帰ることに決めて、しかしこの日は院長も不在で
夜も7時を回っていた。「今はもう夜だし、歩いては無理だよ」
はっと気がついたように「ああ、そうか」
「明日、車で帰ろう。タクシーを呼ぶから」と言うと
納得したように静かに横になった。

暫くしてまた「よいしょ!」と起き上がろうとする。
また同じことを繰り返して言い、妹が泊まることで
私は帰った。

1時過ぎ、片付けもあらかた済み明日は、と算段している時、
電話が鳴った。2階に駆け上がり電話を取ると妹の
「来て!来て!」と短い言葉が耳に入ってきた。
「うん」とそのままタクシーで病院に駆けつけた。
玄関のドアを開けてもらうのももどかしく2階に駆け上がった。
2階の詰め所の時計は1時25分ごろだった。

病室にはお医者さんが酸素マスクを当てている。
側で看護婦さん心臓マッサージをしている。
妹が「お母さん、起きて!起きて!」と手をマッサージ
していた。私は「お母さん、起きよう!」お母さん、起きよう」と
足をマッサージした。

何の動きもなかった。

暫くしてお医者さんが壁の時計を見たと思ったら
「ご臨終です。1時35分です」と言った。

そんなばかな!!起きよう!!家に帰ろう!
心の中で叫んでいた。
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# by wahaha05 | 2005-12-31 20:49
2005年11月3日1時過ぎ 母が亡くなった。

今でも信じられない思いだが、12月20日に49日を
営んだのは事実だ。もう病院にいないのも事実だ。

これからは母を偲んで綴っていくことになった。
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# by wahaha05 | 2005-12-31 20:33

すやすやと

すやすやと良く眠る日だ。
時々薄ら目を開けて、べっ、と舌を出し
又寝てしまう。 夕食も食べずにすやすやと
良く寝ていた。

思えば10代後半から病気になる80代まで
がんばってきたのだから、今は静かに過ごせる
時なのだろう。
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# by wahaha05 | 2005-11-01 22:00

ぬくぬくと

昨日(10月30日)は胸がむかむかしている様で、少しもどした。
寝汗のような汗で、下着を換え熱いタオルで拭いた。
手足も熱いタオルで温め、マッサージをしている内に
気分も落ち着いたのか眠った。

今日はタオルケットに包まりヌクヌクと気分よさそう。
顔色も良く唇の色も戻ってやれやれだ。

同室の吉成さんが、柿食べたいね、と言う。
そうね。もう少し良くなってから、と答える。

裁縫の手付きが滑らかで、お人形の着物を縫おうと
いうことになった。

パーキンソンは筋肉の病気で、足が弱り立てなく
なっている。辛いね、とさすってあげるしかできない。
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# by wahaha05 | 2005-10-31 22:00

泣きべその日

昨日とは打って変わって泣きべその日だった。
まるで子供がべそをかいているような顔だ。

同室の吉成さんが下着姿のまま何やらしている。
看護婦さんに、ちょっと糸通して、とうとう看護婦
さんに針を渡した。

何と、パジャマの折り返しを縫い付け始めた。
丁寧に布をすくって、留めて縫い付けてしまった。
何でもない風に。

ああ、驚いた。患者さんとは思えない。

昨日頼んだ柿の絵も出来上がっていた。
赤と朱色の柿の実とヘタの緑が絶妙な色合いで
構図が立体的だ。
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# by wahaha05 | 2005-10-27 23:20
24、25日は母の故郷、大分国東に行った。
中津第一病院に叔父の病気見舞いだが、
国東真玉は車で50分と言われ、従兄弟が
連れて行ってくれた。

この柿は真玉のおじちゃんが作ったんだよ。
元気なニワトリが5羽もいて、この卵は産みたて
だよ。ほ~っ、と嬉しそうに食べた。

3人の弟の話や畑の話をしながらの夕食は
楽しかったようで、看護婦さんにもニコニコと
笑顔を向ける。

どうしたの、そんなに嬉しそうな顔は初めてや。と
看護婦さんに言われていた。

子供のような無邪気な実に嬉しそうな顔だった。
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# by wahaha05 | 2005-10-27 00:29

おはぎ

昨日大騒ぎをした吉成さんだが、夕食時になると
お箸を持ってなにやら食べている。何?と覗き込むと
ギョギョ!中振りのおはぎが2個もテーブルに
乗っている。嬉しそうに食べている。

ゆっくり食べてね。昨日あんなに大騒ぎしてのに
生命力が強いね。と言うといたずらっ子のような目で
笑っていた。これがいいのかもねぇ。

夕食も済み横になっているので、お向かいの福丸さん
に行き戻ってくると、人形を体の上に乗せて
撫ぜていた。よしよし、という風に手でポンポン叩いて
いた。なかなか平和な光景だ。
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# by wahaha05 | 2005-10-19 22:42